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高知家庭裁判所 昭和62年(少)938号 決定

少年 H・M子(昭44.5.23生)

主文

少年を中等少年院に送致する。

理由

(非行事実)

少年は、実姉A子がその夫B、長女C子(昭和61年10月16日生)の3人で暮らしていた高知市○○××番地××○○ハイツ一階の居室に昭和62年7月21日から遊びに来ていたが、Bに以前肉体関係を結ばれたことの仕返しのため、同人がことのほか慈しんでいたC子を殺害しようと決意し、同月23日午前9時ころ、A子が外出して部屋にC子と二人きりになるや、前記A子方において、洋服だんすからネクタイを取り出し、これを同児の背後から首に巻きつけ、その両端を両手で強く引っ張って同児の首を絞め、即時同所において、同児を窒息死させて殺害したものである。

(適用法令)

刑法199条

(処遇の理由)

一  本件非行に至る経緯は次のとおりである。

少年は、昭和60年3月中学校を卒業したが、軽度の精神薄弱で学力が伴わないこと、視力が弱いことなどから進学・就職をせず、昭和59年12月に生まれた弟(ダウン症候群で先天性心疾患を伴っているようである。)の子守や家事手伝いをして肩書居住地で毎日を送っていた。そのため、外出することは買い物を除くとたまに友達のところに遊びに行く位であったところ、実姉A子(昭和41年6月2日生、昭和61年9月8日Bと婚姻届出。)が高知市内でアパート暮らしをしていたことから、昭和61年2月ころから月に一度泊まりがけでA子のところに遊びに行くようになり、それまで代わり映えのしない日日を送っていた少年にとって市街地の姉方に遊びに行くことが一番の楽しみとなった。

A子は昭和60年6月ころから前記アパートにBと同棲していたが、同61年12月ころ劣情を催したBが少年をホテルに誘い、少年は初めて男性と肉体関係を持つに至った。少年は、BからA子に内緒にするよう口止めされ、その後もA子のアパートに来るたび同女の外出中ひそかにBと肉体関係を持っていたが、昭和62年6月ころからは少年がA子のアパートに遊びに行ってもBが帰宅せず同人と肉体関係を持つことはなくなった。少年はこの頃からなんとなくBに対し腹立たしさを感じるようになった。

同年7月22日、少年は前日からA子方に遊びに来ていたがBは外泊中であり、A子とその子C子(昭和61年10月16日生)の三人で部屋にいると、A子の顔見知りであるD子が訪れ、A子にBがいわゆるサラ金に借金をしていることや浮気をしていることなどを話すのを聞き、Bの浮気を初めて知った。そして、その夜A子からBと離婚する決意であることを聞かされ、翌日離婚のことで市役所に行って来るからとその間のC子の世話を頼まれた。少年は、Bに対し激しい怒りを覚え、自己が肉体関係を結ばれたことの仕返しをすることを考えたが、仕返しにはBが最も大事にしているC子を殺すことがよいと考え、翌日の姉の留守中にC子を殺害しようと決意した。

二  本件非行の動機は、関係証拠上必ずしも明白とはいえないが、犯行直後の書き置きをみると、少年がBに肉体関係を持たれたことの仕返しであることは確かである。少年は捜査機関に対してBに以前二回肉体関係を意に反して結ばれ、以来それを恨みに思い続け、本件非行でその恨みを晴らしたかの供述をしているが、少年がBと肉体関係を持ったのは、Bが外に愛人を作ってほとんど帰宅しなくなった昭和62年6月まで、少年がA子方に遊びに行くたび毎回で合計7、8回であること、姉が外出するとき少年は姉に同行するでもなく、アパートにBと二人残って結局同人と肉体関係を持っていることなどに照らせば、少年はBと肉体関係をもつことを肯定的に受け入れていたのではないかと思われる。そして、関係証拠によれば、鑑別結果通知書及び少年調査票が指摘するように、劣等感を持ち続け、話し相手も少ない寂しい毎日を送っていた思春期の少年にとって、Bは、たとえうわべの優しさであっても、自分を一人の女性として扱ってくれ、愛してくれる存在であったところ、次第に自己に関心を示さなくなり、更には本件前日外で浮気をしていたことを知るに及んで、それまでのBに対する肯定的感情が一転し、Bに裏切られたとして激しい怒りを覚え、以前の肉体関係の代償をBに要求すべく、Bが最も大事にしている長女C子を殺害したのではないかと思われる。

三  医師○○作成の鑑定書等によれば、少年は、軽度の精神薄弱であり、本件非行時の精神状態は、精神薄弱に伴う未熟性、幼稚性、抑制力の減退に加え、易怒、冷淡な性格により、行為の是非を弁別し又はその弁別に従って行動する能力が著しく減退していた疑いが強く、いわゆる心神耗弱状態にあったものと認められる。

四  少年は、審判廷において、実姉A子に謝罪の言葉を述べたとき初めて顔をこわばらせ涙を見せており、堅い防御の内の心情の一端を見せている。少年は、容易に心を開かず、その内面を窺い知ることは困難であるが、犯行時十分ではなかった事件の重大性についての認識が、その後審判期日までの間にある程度深まったものとも思われる。

五  そこで、少年の処遇につき考えるに、少年の家庭は、母親は身体障害を有し、父親も腰痛を押して稼働している状態であり、また、長男E(二歳)は前記のとおりダウン症候群に先天性心疾患を伴っているようであって、少年の監護指導まで手が行き届かない状態である。また、本件は実姉の嬰児を殺害するという親族間の犯罪であって、親族間の関係に深刻な亀裂を生じさせた恐れが強く、現在において少年を家庭に戻すことは相当ではない。むしろ、一定期間少年を関係者から引き離し、それぞれの気持ちの整理を待つ必要がある。他方、本件事案の重大性、ことに尊い一命を奪い去った結果の重大性、社会に与えた影響などを考えると、本件において、少年に刑事処分を科すことも考えられるが、被害者の父親にも本件が惹起されるにつき相当の責任があること、少年には資質上の欠陥が大きく、前記のように本件非行時も限定責任能力の状態にあったこと等勘案すれば、結局、刑事処分も相当でないといわざるをえない。

その他、本件に現れた諸般の事情を総合すれば、本件においては、少年を中等少年院に送致し、特殊教育過程の処遇を通して、少年の情緒面の未熟さ、偏り、幼稚さなどの改善をはかり、併せて、本件の重大性についての認識を深めさせ、内省の場を与えるのが最も適切な処分である。

よって、少年法24条1項3号、少年審判規則37条1項を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 政岡克俊)

〔参考1〕少年調査票

少年調査票〈省略〉

犯罪事実

被疑者は、本年7月21日より、実姉A子の嫁ぎ先である高知市○○××番地××○○ハイツ1階のB(24歳)方に宿泊していたものであるが、義兄にあたる右Bに、かつて意に反し肉体関係を結ばれたことを恨み、悶々とした日を送っていたもので、その意趣晴らしのため、右Bの長女C子(生後9か月)を殺害することを決意し、昭和62年7月23日午前9時頃、右B方4畳半の間において、C子の背後から首にネクタイを巻き付け、その両端を両手で緊縛し、即時同所において窒息死に至らしめ、もって殺害したものである

〔参考2〕鑑別結果通知書〈省略〉

〔参考3〕簡易鑑定嘱託書

昭和62年8月3日

高知地方検察庁

検察官検事 ○○

○○殿

簡易鑑定嘱託書

殺人 H・M子

右の者に対する左記事項の簡易鑑定を嘱託する。

一 本件犯行時及び現在の精神状態、ことに精神障害の有無、程度(本件犯行動機に了解困難な事情あり)

二 犯行時における事理弁識能力並びにそれに従って正常に行動する能力を有していたか否か

三 知能の測定(知能指数)

〔参考4〕簡易鑑定書

H・M子殺人簡易精神鑑定

高知地方検察庁○○検事の嘱託により、被疑者に関して昭62年8月4日○○にて鑑定したので、その結果を報告する。警察官調書、検察官調書を参考にした。

H・M子18歳(昭44年5月23日)

本籍香美郡○○町○○××

番地住居香美郡○○町○○××

番地職業なし(家事)

学歴中学卒(成績下)

犯歴なし

(一) 家族歴

今は、父(板金業)、母、弟(2歳6ヵ月)との4人家族。姉は結婚して高知市内在住。今回、姉の娘(姪、9ヵ月)を殺害した。

(二) 生活歴

小学時代、物静かでトラブルもなかったが、低知のため(5)、6年は特殊学級に在籍していたという。中学2年の時、計算が難しくてと怠学し○○のショッピングセンターで遊んでいて、先生から注意を受けたことがある。音楽(歌)、体育(水泳)が好きで3評価、他は2以下であった。卒後、紡績会社就職を希望していたが、低知に加えて近視などで親に説得されて家事に従事していた。姉が結婚してからは、姉方に出掛け、姪の子守りなど手伝いながら高知市内にショッピング(マンガ、カセットテープなど)に出て楽しんでいた。義兄と肉体関係が出来てからは、内心憎悪、復讐の念がつのっていった。

(三) 犯行当時の精神状態

昭60年6月頃から姉は水商売の同僚と同棲するようになった。姉は、昭61年2月妊娠に気づいたが、その頃からアパートに妹(被疑者)を呼ぶようになった。(月に2泊3日、5泊5日)同年9月結婚入籍した。10月出産、子守りも手伝い平穏であった。ところが、本年1月、義兄から強引に迫られてホテルで処女を奪われた。3月にもアパートで嫌々関係をもち、このことで義兄に対して憎しみ(憎悪)、仕返し(復讐)の念を強迫的に抱くに至った。(ただし、その間のペッティングそのものについては、さして気に止めていない)。4月頃から義兄は、勤め先(○○)の女性と外泊、同棲同然の関係が出来てアパートにほとんど帰らなくなった。7月21日夜、自宅には置き手紙をして姉方へ義兄を怖れながらも訪れている。22日午後、先の女性がアパートを訪ねてきて、義兄との仲(女たらし)、サラ金、かけごと(店の金の使い込み)などの話があった。夜、姉から離婚の決意を聞かされ、仕返しとして姪殺害を思いたった。義兄に対する憎悪、怨恨、憤怒、復讐の念を制し難く、義兄が日頃、「自分に似てかわいい、目の中に入れても痛くない」とか、「この子が死んだら、自分達も死んだ方がましじや」等と宝のように可愛がる姪を殺すことを決意し、姉夫婦が離婚してしまえば仕返しの機会がなくなってしまうと思いつめた(短絡的、衝動的)。その間、感情の動きを姉に悟られていず、平静を装っている。23日午前1時、明ければ市役所に離婚の手続きを相談にいくと聞かされ、のち殺意で興奮して熟睡していない。午前9時頃、姉外出直後、部屋のカーテンを閉め、洋服ダンスからネクタイを取り出し、母外出で泣きじゃくる姪の首を締めて殺したものである。犯行後、玄関の鍵をして、姉宛に、はじめて義兄との不義(本人はこれに関する罪責感は乏しい)、殺害理由を「……いしやりようのかわりさ、あのこにきいてみな、ホテルにもいきました」と便箋にメモ書きして残している。以上からみて、低知に伴う、未熟性、幼稚性、抑制も滅退に加えて、本人もいうように、「やさしいところもあるが、怒りっぽくて、腹が立てば根に持つタイプ」の易怒、冷淡な性格による犯行と考えられ、次項で述べるようにIQ56程度からみて、限定責任能力、すなわち心神耗弱状態にあったと考えるのが妥当であろう。

(四) 現在の精神状態

意識は清明にて、表情は柔和で質問にも素直に答えるが、事件の重大性のわりには深刻感のないのが気にかかる。隠したり、虚言の傾向はない。態度からやや低知を思わせる。田中びねー式知能検査では、IQ56、精神年齢8歳4ヵ月、言語性が動作性に劣っている。軽度精神遅滞に相当する。

犯行動機は、嫌いなタイプの義兄から強引に処女を奪われたとの復讐心であるが、本年5月頃から7月にかけて付合っていた片想いの男性に対する性的憧憬は認めており、セックス恐怖はない。現在、義兄への復讐が果せて気持ちがすっきりしているが、まだ怨恨の情が消し難いと言い、強迫観念、情緒の不安定性を示しているように思われる。処罰を受けるのはやむを得ないと言い、罪責性は認めている。なお、これまでの精神病理学的異常性についてみると、わけもなく不安、焦燥に怖われくらくらすることがあるという。中2の時の怠学のこと、中3の時、姉の家出を心配してめまい(心身症)で1週間内科に入院している。昨年暮には、本人は単なる不眠からと言うが、姉方近所の薬局で購入した睡眠薬の小瓶の半分量(約五十粒という)を服用して昏睡に陥り救急病院に運ばれている。自殺企図ではないと言うが、了解困難な行為である。単なる低知のみとはいえず、情緒の異常性を伴っているとみなすべきであろう。ただし、精神分裂病、躁うつ病の印象はない。初潮は中3で、生理不順はない様子。

(五) 鑑定のまとめ

1 軽度の精神発達遅滞に加えて、情緒の異常性を伴う。犯行動機は、義兄に対する憎悪、怨恨、憤怒、復讐の念であるが、現在では、心的葛藤がかなり解消されている。

2 犯行時、事理弁識能力並びにそれに従って正常に行動する能力は、著明に減弱しており、心神耗弱に相当する状態であったと思慮する。

3 知能指数は、田中びねー式知能検査で56である。

昭62年8月6日

鑑定人医師 ○○

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